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待宵草 4

流れに任せてたゆたっていた身体が静かに上昇を始める。
濃い青の先に見えるのは、弾けるように踊る光の群れ。
そのきらめきに近づくに従って、閉じていた思考が除々に開かれていく。

未だ不明瞭な意識の中、茫洋とした世界との別れを自覚して、ゆっくりと瞼を上げた。


「おはよう」

霞んだ視界の先から聞こえる声。
それがどこから聞こえるのか、一体誰のものなのか……理解する前に唇に落ちてきたのは、柔らかな感触――

「おはよう、キョーコちゃん」
「つ…っ…!」

驚くほど近い場所から発せられた声に鈍器で殴られたかのような感覚を覚え、一気に覚醒した。
それと同時に昨晩の経緯が怒涛のように押し寄せてきて、相手の名前を呼ぶ事に戸惑い、躊躇する。

この人は――誰?

いつも親身になって何かと助けてくれる優しい先輩の敦賀さん?
小さい頃から今も尚、私の心の支えになってくれているコーン?
それとも……私の知らない顔を持った、男の人…――?

浮かんだ発想にゾクリと肌が粟立ち、思わず身体に纏う衣服を確かめた。

「心配しなくていい。君が恐れているような事はしていないから」

耳元で囁く声に行動を見透かされて、羞恥にカッと顔が赤くなる。
寄り添う人から顔を背けようとしたけれど、顎に手をかけられ目線を固定されてしまった。

「恥ずかしがる事はないよ。君が危惧するのは当たり前のことだから。実際、俺は君が欲しい。君の身も心も……全てが欲しい」
「……っ…!…」
「だが無理強いをするつもりはない。そのぐらいの理性は持ち合わせているつもりだ」

語る言葉と真っ直ぐに注がれる眼差しは真剣で、それがその場限りの嘘ではない事が伝わってくる。
昨晩の、何もかも破壊してしまうような嵐は過ぎ去ったのだと……そう思うとふうっと身体の力が抜けた。

「但し、君が約束通りに俺だけを見てくれるなら……だけどね」
続けられた言葉に、緩んだ筋肉が再び強張る。

私……約束なんて、した……?
敦賀さんだけを見る……そんな話をしたの? 私……

朧な記憶を探ってみても、はっきりと思い出せない。

「俺の言葉に君は微笑んでくれたよね、キョーコちゃん……」
優しげに話しかけるその声の響きに、なぜか危ういものを感じて背中に汗が滲む。

私を見つめる強い眼の光がありありと物語っている。
肯定以外の言葉は許さないと。
これは多分ぎりぎりの防衛線で、うかつな返答をしようものならどうなるか分からない。

焦る心を悟られないように、探る眼差しを真っ直ぐに見詰め返す。

「私はあなたを……これから何て呼べばいいんでしょうか。今まで通りに敦賀さんでいいですか? それとも……コーン?」

彼は僅かに眼を見開くと、口元に笑みを浮かべた。
その表情が私の知っている彼の笑顔と違って見えるのは、込みあがってくる得体の知れない恐怖心から……?

「そうだね、対外的にはともかく二人でいる時には違う呼び方をして欲しいかな」
私の顎を捕らえていた手が上へと移動し、頬に触れた。
その温かな感触と、一触即発の緊迫したこの現状との差異に眩暈を感じて頭の奥がクラリと歪む。

「君に俺の気持ちを伝えた以上、もう『面倒見の良い親切な先輩』でいる必要はないからね。それに『敦賀蓮』は俺にとって日本で生きるために作り上げた人格に過ぎない」

『作り上げた人格』……感情も無く、突き放すような言い方にズキリと胸が痛む。
その作り上げた『敦賀蓮』という人物に私は惹かれ、慕い敬い、尊敬していたのだから。

「じゃあ……コーン、ですか……?」
「それも違和感があるな……俺は君が思うような心の綺麗な妖精ではないのでね。君の期待を裏切って申し訳ないのだけれど」
「そんなっ、どうしてそんな変に捻くれた言い方をするんですか?」
自らの過去を否定するような言動を繰り返され思わず反論をしてしまい、その無謀さに気付いてハッと口を噤んだ。

ギシリとベッドが沈む音がして大きな影が私の上に覆い被さり、頭の両脇に彼の手が囲うように置かれた。
茶色の柔らかな前髪が私の額をくすぐるように掠めては揺らいでいる。

「ねえ、キョーコちゃん。君、自分が今どんな状況に置かれているのか分かっている?」
不自然なほど綺麗な笑みを湛えて、諭すように私に言葉をかける。

「君は俺が本当に何もしないと思っているの? 一つのベッドを男と女が共にしている……これで何もない方がおかしいというものだろう?」
「無理強いはしないと……あなたは言ってくれました」
「そんな事を本当に信じているんだ。おめでたいね。君の尊敬する先輩や、お伽話に登場するような幼馴染はそんな穢れた事はしないと?」
「違います、そうではなくて」
「違わないよ。君は俺の作り上げた綺麗な表面だけを見て、俺の本質を見てはいないのだから」

パシン……ッ

自嘲するように言う彼にどうしようもない怒りが込み上げて、堪らずその頬を打っていた。

「一体あなたは私に何を求めているんですか? 私があなたを信じているのが不満なんですか。単純で愚かだと、そう言いたいんですか…っ」
感情が昂ぶり、頭で考える前に次々と言葉が溢れ出す。
この人を刺激してはいけないと分かっているのに制御する事ができず、涙で目の前がぼやけ始めた。
私にとって大事な二人が揶揄されて、そしてそれを行っているのが当の本人だという事実が余りに哀しくて……辛くて悔しくて、憤る気持ちを抑えられない。

「私はあなたが敦賀蓮でもコーンでも、どちらだって構いません。あなたがあなたであるなら……あなたを失わないですむのならっ。本質ではなくて表面ばかりを気にしているのはあなたの方ではないんですか!?」
涙が頬を伝う。最初の一筋の跡を追う様に、幾筋も連なり止め処無く流れ落ちていく。

「それとも全て私の思い違いで、あなたが私に向けてくれた笑顔も言葉も優しさも、全て表面だけの偽りだったということなんですか! それを真に受けて騙された滑稽な女だと嘲笑っているのなら、こんな風にからかったりしないでどうか捨て置いてくださいっ。私はもう裏切られるのは嫌なんです!」
「何だって……?」

それまで黙って聞いていた彼の身体が揺らぎ、凄みを持った声が私を制した。

「君はこの期に及んでまだ俺の気持ちを疑っているんだ? 捨てる? 俺が君を……? 冗談じゃない。捨てようとしているのは俺ではなくて君の方だろう?」

問いかけるその表情は氷のように冷たく……私は大きな過ちを犯した事を悟った。


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