「もしもし、最上ですが夜分遅くにすみません!」
彼女らしい第一声に、思わず口元がほころんだ。
時計を見れば夜中の0時を回ったところで、確かにお世辞にも電話をかけるにふさわしいとは言えない時間帯だ。
とは言え、それも相手が彼女なら話は違ってくる。
「いや、構わないよ。何か急用でも?」
「急用と言いますか……本当は電話などではなく、直接お会いして言うべきかなと思って、敦賀さんのお帰りになるのをマンションの近くでお待ちしようかとも考えたのですが・・・」
…なんだって……?
「最上さん?」
「は、はいぃ」
俺の声のトーンが変わったことに気づいたらしく、彼女の声が高く上擦った。
まったく、冗談じゃない。この子はあまりにも警戒心がなさ過ぎる。
やはりマンション前で待ち伏せをされたあの時に、きちんと叱っておくべきだったのだろうか。
「女の子が夜中に出歩くものじゃないよ。闇の中に誰が潜んでいるかも分からない。もし不埒な男に襲われたりしたら、どうするんだ?」
「それは大丈夫だと思います。私みたいなのを襲うような物好きはいませんから」
「……俺は以前、男に襲われていた君を助けた覚えがあるんだが、君はもうすっかり忘れてしまったのかな?」
根拠なく断言する彼女に少しばかりムッときて、あえて平坦な口調で言葉を返した。
……実際、あの時は心臓が止まる思いだったと言うのに。
好きな女の子を見知らぬ男が馬乗りになって襲っている……そんな場面にはもう二度と遭遇したくないし、そのような事態を招く可能性がある行動を彼女がすると言うなら、何としても阻止するつもりだ。
あの場に俺が居合わせることができず、最上さんを助けることができなかったらと……想像するだけで今でもゾッとする……
「あ、あの時は敦賀さんには大変お世話になりましたっ。本当にありがとうございますっっ!!不肖最上キョーコ、決して受けたご恩を忘れたわけではないのですが、これからは改めて大恩人である敦賀さんへの感謝の気持ちを深く、深く胸に刻みつけて」
「……そうではなくて」
「へっ?」
ひたすら違う方向に突進して、必死に弁解し続けている彼女の言葉を遮った。
俺が言いたいのはそんな事ではないんだ。
俺はただ……
「君が、心配なんだ」
「え……」
「俺は君に危ない目に合って欲しくない。だから無謀な事は止めて欲しい。……言っている事が分かる?」
「はい…いつも無鉄砲な後輩が、お忙しい大先輩に心配をおかけしてすみませ……」
「やっぱり分かってない」
俺は君に謝って欲しいわけではない。
後輩だから心配なんじゃない。
「最上さん、君は俺にとって大切な女性だから……だから、心配しているんだ」
「…………………」
鈍い彼女だから、これぐらい言っても気づきはしない。
そう高をくくって言った言葉に、返ってきたのは無言の反応。
数秒の空白に息を飲む。
「……あまりに、希薄すぎるだろう?」
緊張の時を耐えることができず、俺は口を開いた。
「……え……?」
「仕事の上での上下関係なんて、そんなものを前提に人を見ていたら相手の本質を見逃してしまう。俺は君を、一人の自立した女性として認識しているつもりだよ?」
「…………」
またも彼女の返事はなく、聞こえてきたのは溜め息のような、小さな音の気配。
……往生際が悪いと、呆れられたのか……?
もし俺の想いを彼女がとっくに知っているなら、これ以上の道化はないだろう。
「……最上さん?」
「困り…ました……」
困る……?
俺の想いが……?
彼女の一言に、心臓が一気に凍てついた。
「だって……これじゃあまるっきり逆になってしまいます。敦賀さんは私にとって嬉しい言葉をさらりと言ってくれるから……本当に困ってしまいます……」
何だって……?
彼女は何を言っている?
嬉しいというのは本音?それとも揶揄……?
ただ一つ分かったのは、その声に嫌悪の感情は感じられないということ。
それだけのことで、肩の力が少し抜けた。
「なんだか、私の方がプレゼントをいただいてしまったような気がします。それでは本末転倒ですから」
「どういう意味……?」
「肝心の用件が遅くなってしまいました」
そう言うと、彼女は電話越しでさえ分かるような大きな深呼吸をして言葉を続けた。
「敦賀さん、21歳のお誕生日おめでとうございます!」
……誕生日……?
ああ、そう言えばそうだった……
彼女の言葉に、再度壁にかけた時計を見る。
0時8分……確かに日付は2月10日になっている。
だが、まさかそれを言うために、わざわざこんな遅い時間に電話を……?
彼女の目的が分かった瞬間、熱を帯びた感情の圧迫で、胸が潰れそうなほど締め付けられた。
正直に言えば、俺の誕生日に最上さんが何かプレゼントを用意してはくれないかと少しばかりの期待は抱いていた。
彼女は義理堅い性格だし、誕生日当日にダークムーンの撮影で顔を合わせることは分かっていたから。
でも……だからこそ、わざわざ日が変わってから早々に、彼女が祝いの言葉を贈ってくれるなんて思ってもみなかったんだ。
「私、誰よりも先に敦賀さんに『おめでとう』を言いたかったんです」
「…………」
「今日、ダークムーンの収録でお会いできると分かってはいたんですけど」
「…………」
「でも私の誕生日に一番にお祝いの言葉をくださった敦賀さんに、どうしても伝えたかったんです」
「…………」
「そのとき感じた、暖かでちょっと照れくさくて、そして凄く幸せな気持ちを少しでも敦賀さんにお返しできたら嬉しいなって思って」
「…………」
「……でもこんな真夜中にそんな押し付けがましいことをして……やっぱりご迷惑でしたよね……」
だんだん尻すぼみになっていく言葉に、ハッと我に返った。
彼女の言動に心が揺さぶられると、固まってしまうのは俺の悪い癖だ。そうと分かっていても、思考が止まってしまうのだから自分では防ぎようがなく、対処方法も見つからないのだが。
「いや、嬉しいよ。……ありがとう。最高のプレゼントだ……」
感じた思いをそのままに、言葉に乗せて彼女に伝えた。
最上さんにいらぬ誤解をさせないように、俺の気持ちが届くように。
「は……い…」
はにかむような彼女の声。その響きに触れてふと脳裏に浮かんだのは、俺がバラを贈った時に見せた彼女の表情。
「嬉しいとちょっとでも思ってくださるなら、良かったです……」
戸惑うような、恥ずかしそうな、それでいて凄く嬉しそうな……あの笑顔。
あぁ……彼女が最初に言った通りに電話ではなく俺のマンションに直接来て、今目の前で笑っていたなら……俺はどうしていたことだろう。
……まずい、な……
「…最上さん」
「はい」
「そろそろ寝ておいた方がいいんじゃないかな。もう遅い時間だしね。素敵なお祝いの言葉をありがとう」
これ以上話していると余計なことを口走りそうな気がして、俺は電話を終了するという無難な道を選択することにした。
翌朝にはドラマの撮影で会えると思えば名残惜しさも半減する、そう自分自身に納得させて。
「分かりました。それではまた明日……あ、明日ではなくて、もう今日なんですよね」
照れ笑う気配につられて、こちらも笑みが漏れる。
「そうだね。10時間後にまた君に会えるのが楽しみだよ」
「はい、あの……」
「ん?どうした?」
「……え…と、ですね……」
何かを躊躇う様子の彼女に、もしかして他にも用件があったのだろうかと思い、名前を呼んで彼女を促す。
「最上さん?」
「……わ…っ、私にとっても敦賀さんは、凄く大事な人なんです。だから敦賀さんに会えるのはとても嬉しいし、ドキドキするほど楽しみなんですっ!」
怒涛のように一気に放たれた言葉の波に、即座には意味を理解することができなかった。
凄く大事?
君にとって俺が?
ドキドキするほどって……それって…社交辞令ではなくて本当に……?
「そっ、それではお休みなさいっ!!」
プツッ
……ツーッツーッツーッ……
突然通話が切れて、後には単調な機械音が繰り返された。
気持ちを整理する前に切断されたそれを、半ば呆然と見つめる。
「……俺、お休みの挨拶もしてないんだけどな……」
呟いて数秒後、クツクツと笑いが込み上げてきた。
あの子のことだからきっと、真っ赤な顔で大真面目に思っていることを言うだけ言い切ったのだろう。
今頃は恥ずかしさに任せて一方的に電話を切ってしまったことに気づき、青くなっているに違いない。
「スタジオで顔を合わせた時に、どんな行動に出るかな……楽しみだ。本当にドキドキするよ」
決死の覚悟で俺を待ち構えている彼女の姿が目に浮かぶ。クスクスクスと、笑いが次から次へと溢れ出して止まらない。
でもそれは、彼女が慌てて勢いで電話を切ってしまったことが可笑しいのではなく、彼女が思わず電話を切ってしまった理由が嬉しいから。
そんなにも照れてしまうほどに、君が本気で俺を大切に思ってくれているのだということが伝わってきたから。
君の想いが俺の想いとは明らかに比重が違うと分かっていても、それでもやはり嬉しい。
社さんに知られたなら「ささやかだ」と笑い飛ばされそうな、ほんの小さな幸せ。
けれどそれはホッコリと俺の胸を暖めて、優しい眠りの世界へと導いた。
「誠に申し訳ございませんでした~~~っ!!」
翌朝、予想通り正座をして俺を待ち構えていた最上さんから、「捧げ物ですぅぅ」と恭しく差し出されたプレゼントに、新たな幸せをもらったのはまた別の話。
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