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「なぜ?」

先ほどよりも幾分低い声で敦賀さんに問いかけられる。
まず何から話すべきなのか、何日も考えては練り直した頭の中のマニュアルを開き再確認した。

「『I LOVE YOU を訳してください』……去年の今頃に私が敦賀さんにお聞きした質問です。覚えていますか?」
「………ああ、覚えているよ」

尋ねると、敦賀さんは少し間を置いて返事をした。過去の記憶を探っていたというよりは、改めて聞く態勢の切り替えをした、そんな印象の数秒の空白。

「あの時、敦賀さんは『笑って欲しい』と答えてくださいました。それは本当に素朴すぎるほどの答えで……正直言うとちょっと意外だったんです」
「意外?」
「はい。敦賀さんなら聞いただけで恋に憧れを抱くような、説得力のある意訳を考えてくれると思っていたんです。今振り返れば、勝手な思い込みにすぎないんですけど」
「それは…君の期待に応えられなくて申し訳なかったね」
話の行き先を警戒しているらしく、硬い声で話す敦賀さんを真直ぐに見つめる。

「いいえ、今は分かっているんです。あの時敦賀さんは、私以上に私の心情を理解してくれていたんだって」

あの頃の私にとって「愛」とは、決して触れる事の出来ない朧な蜃気楼のようなものだった。世間にはそういうものもあるのだと遠く眺める事はできても、自分の為にそれを手に入れようなんて考えてもみなかった。

「私は『I LOVE YOU』という英文を自分なりに訳してみたい、理解したいと口にはしても、自分自身が愛するという感情を取り戻そうとまでは思ってはいませんでした。それは私にとってひどく遠いものでしたから。敦賀さんはそんな私の気持ちを知っていたからこそ、直感的に分かりやすい訳を示してくれたんでしょう?」

――笑って欲しい、かな

敦賀さんにそう言われた時は分からなかった。だって『笑う』なんてこと、簡単で単純で日常に溢れている感覚だもの。

そんな風に感じた数日後、机の引き出しの中に入っていた小さな写真が目に留まった。LMEの入社試験の時に用意した、履歴書用の証明写真の残りの一枚。まるで睨み付けるような表情に、「なんて顔をしているんだろう」と思わず苦笑いをした。

そりゃあ、証明写真で笑えとは言わないけど、もう少しまともに……

そう思った時に、愕然とした。
あの頃の私は人らしい感情を失っていた――それを忘れていたという事実に気がついて。

復讐に囚われていた私がいつの間にか笑えるようになっていた。会えただけで自然に顔が綻ぶような、そんな大切な人がたくさんできて、笑っていて欲しいと思う人達が数え切れないほどいっぱいいて……
それが人を想うという事なのだと実感した。

そしてその多くの人達の中でも、更に特別な人がいるという事にも……気づいてしまった。

「愛すると言う事は身近で自然な感情で決して気負う必要はないのだと、そう敦賀さんに教えてもらったんだと分かったんです」
「……では…」
無言で私の話に耳を傾けていた敦賀さんが、徐に口を開いた。

「君なりの『I LOVE YOU』を見つけられたと、そういう事かな」
「…はい…!」
「だがあれだけ恋愛を否定していた君だ。頭で理解したところで、そう簡単に意識を変える事はできなかっただろう」

敦賀さんはテーブルに片肘を突くと、その手の上に軽く顎を乗せて、私へと向ける視線を固定した。

「何か心境の変化でもあった…?」

誤魔化すことは許さないと訴える、その強い眼差しに圧倒されそうになる。
ここが正念場………引くわけにはいかない。

「伝えたい人がいるんです。私の見つけた答えに返事をもらいたい人が…!」
「…そう……」
敦賀さんの表情から確かな感情は読み取れない。でも彼を取り巻く気配は明らかに変わっていて、その圧力が肌にピリピリと伝わってくる。

「……それはつまり、好きな人ができたという事?」

突きつけられた問いに、ドクンと心臓が大きな音を立てた。

「はい…!」
「……どうしてそれをわざわざ俺に説明する?伝えたい人がいるならこんな所で俺と話しているよりも、その人に会うのが先だろう?」
「まずは敦賀さんにお礼を言うのが筋だと思ったからです」
「筋?」
敦賀さんはひどく不快そうに眉を顰めた。

「それはもしかして、俺の訳が君にとって愛情を取り戻す切欠になったから?」
「そうです」
「……ふうん、そうなんだ……君は几帳面だね…」
ガタンと音を立てて、敦賀さんの座っていたパイプ椅子が動いた。

「几帳面すぎて、腹立たしいぐらいだ」
「あ、あの…っ…?」
「つまり、俺はもうお役御免と言うわけ?」
席を立った敦賀さんに、冷たい眼差しで上から見下ろされる。

思いも寄らない話の展開、その理由を考える余裕もなかった。敦賀さんは数歩で私の隣まで来ると、机上に右手を付いて私の顔を覗き込んだ。癖のない前髪がサラリと額を流れるのが視界に入る。

「それで俺の所にはもう来れないんだ……?」

触れそうなほど近い距離に、更なる緊張を強いられる。予定外の方向に話が進みそうな気配に、何とか誤解を解こうと懸命に言葉を探した。

「そうではなくてですね、後輩として食事の心配をしたり、演技指導を受ける為に敦賀さんのお宅へ伺ったり……そういう事はしないと言う意味です」
「つまりは同じことだろうう」
「違います…っ」
「同じだよ。今までにそれ以外の用事で君が俺のマンションを訪ねたことなどないんだから」

責めるような強い口調。
その中にある一抹の切なさに胸を突かれて、咄嗟に言葉を返す事ができなかった。


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