後輩として。
演技の為に。
――それだけではなかった。でも、それを理由にするしかなかった。
私が敦賀さんのマンションを訪ねる事ができるのは、別に他の人よりも親密な関係だからという訳じゃない。偶然と成り行きで何となくそうなっただけ。
ラブミー部の仕事で代マネをした時に、風邪でダウンした敦賀さんをマンションに送って看病をしたのがそもそもの始まり。言わば意識のない内になし崩し的に部屋に入ってしまったのだから、敦賀さんとしても断りようがなかったと思う。
あれがなければ今でも敦賀さんのプライベートな領域に入れてはもらえなかったに違いない。
……そのぐらいの客観的な判断力は持っているつもり。
他の誰よりも近い距離にいると勘違いをして一人で幸せに浸るような愚かさは、とうの昔に捨てた。敦賀さんの傍にいたいと願うなら、二人の位置をはっきりと線引きしなければいけない。
だから伝えよう。敦賀さんに私の気持ちを……!
ようやくそう決心できたというのに。
私は間違えてしまった…?
敦賀さんを傷つけてしまった?
何か言わなければと気は焦っても、どう切り出していいのか分からない。
好意で差し出した手を払い退ける無礼者と思われた?
懐いている後輩が離れていくのが寂しい?
それとも……?
敦賀さんの気持ちが見えないから、どう説明をして良いのかその糸口も見い出せない。何よりも私の中途半端な憶測による判断で、これ以上敦賀さんを傷つけたくない……!
テーブルの上で組んだ両手が、無意識の内に震えている。しっかりしなければと気持ちを奮い立たせようとした時、小刻みに揺れる指に大きな掌が重なった。
「君が何かを思い悩んでいるのは気付いていた」
「……え…?」
声に誘われて思わず顔を上げると、私を見つめる敦賀さんの瞳とぶつかった。
「俺と二人でいる時に、ふっと表情が陰る事があったからね。ここ数ヶ月は何度も……自分で気付いていた?」
……心当たりはある……嫌と言うほどに。
敦賀さんと一緒にいるにも係わらず、寂しい、哀しいと感じる事が度々あったから。突然襲い来る切なさの波はひどく気まぐれで、コントロールをするのは難しかった。
「いつか俺に理由を話してくれるんじゃないかと思って、あえて君に尋ねることはしなかった。だから今日の呼び出しはその事じゃないかと見当をつけていたんだが、まさかこんな『ご報告』を受ける事になるとは思ってもみなかった…!」
覆われた手がきつく握られて、痛みを感じるほどの熱が全身を駆け巡った。搾り出すように語られた言葉に、敦賀さんが私に対して思いの他強い感情を抱いていてくれた事を知る。
……でも、それが私が求めているものと同じかどうかは分からない。敦賀さんが求めているのは、違う形での繋がりかもしれない。想いを伝えれば、全てを失くしてしまうかもしれない。
それでもきちんと話をしなければ絶対に後悔する。それだけは分かる……!
「身勝手なのは重々承知しています。でも、敦賀さんのお陰で私は失っていた感情を取り戻す事ができたから、どうしてもあなたに聞いて頂きたいんです」
「最上さん…きっかけがどうだとか、つまらない義理立てなどしなくていい。不必要な配慮をして返って災厄を招く事もある。…それともこれは俺への牽制なのか?」
「牽制…?」
義理立て、災厄、牽制……予想外の単語ばかりが織り込まれた返答に面食らって、思わず聞き返した。
「これからは不用意に他の男に近寄る訳にはいかないんだろう?君も想い人から変な誤解を受けたくはないだろうしね」
「そ…そんな事、考えてません!」
想い人は当の敦賀さん本人なのだから、そんな発想が出るわけがない。
「では考えるようにしなくては、トラブルの元だよ。男は単純な生き物だからね。身体の距離イコール心の距離だと思いかねない。今だってほら……危険な状態にいるって事がわかっている?」
椅子と机に手を置き、私を囲うようにして敦賀さんが問いかける。息が届くほどの至近距離……敦賀さんの瞳に映る私が見えそうなほどに。
でも、トクトクと高鳴る心臓の音が気になるのは私だけ。危険なんて微塵もありはしない。
だって敦賀さんは、私が敦賀さんを好きだなんて全く考えていないんだもの……!
可能性の一つとしてすら頭に過ぎりもしないなんて、私はどれほどこの人にとって『対象外』なんだろう。興味のない恋愛話を聞きたくないなら、いっその事、放っておいてくれればいいのに、なぜこんな回りくどい言い方をするの?
敦賀さんほどの演技者なら本音と建前を使い分けることぐらい容易いはずなのに、中途半端に本心を透かして見せるような事をするのはなぜ?
「……敦賀さんは、ずるいです」
「何…?」
「ずるいって、言ったんです。私の話を聞きたくないならそうはっきりと言って、さっさと部屋を出ればいいじゃないですか。そうすればさすがに私だって諦めがつきます」
「部屋を出て行って欲しいと思うほどに、俺が邪魔…?」
敦賀さんの切れ長の目が細まり、鋭さを増す。いつもの私なら怖気づいて、黙り込んでしまったに違いない。でも今は負けられない。引いてしまえば、まともに話をするチャンスはもう巡ってこない気がする。
「私が敦賀さんに対して、そんな考え方をすると思われるのは心外です。私にとってあなたはとても大切な人ですから」
「そうかな。恋をすれば価値観は変わる。人に対する優先順位など瞬く間に引っくり返るよ」
「ずいぶんはっきりと断言されるんですね。敦賀さんでもそんな経験をされた事があるんですか?」
「……あるよ。人と言わず、神に逆らってもと…そう考える程度にはね」
「神、ですか…」
かつての私は敦賀さんを崇拝していた。それこそ神を崇める信者のように。
その敬愛が違う形に変化していると気付いた時……感じたのはときめくような甘さではなく、堕ちていくような絶望感だった。大きすぎる畏敬の念は自分自身を貶めひどく苛んだけれど、それでも焦がれずにはいられなかった。
これもある意味、神に逆らうと言う事なんだろうか。只人である身が叶わぬ願いを持って、頂点に君臨する輝かしい人を欲しいと願うなんて……。
滑るように落ち込み始めた思考に気付き、眉間に力を入れて小さく頭を振った。
これでは堂々巡りだ。この数ヶ月というもの、何度も同じような事で悩んできたのだから、今更考えるべき事じゃない。
「話が横道に逸れています、敦賀さん。茶々を入れて、単純な私を迷走させて面白いですか?…敦賀さんは本当は何を私に言いたいんですか?」
「……最上さん」
「あなたはまともに話をさせてもくれない。ズルイです……!」
敦賀さんは溜め息を吐くと前髪を二度大きく掻き揚げた。その右手が前頭部に当てられたまま止まり、再びさらりと後ろに掻き切られたのは数秒後。
「……確かに君の言う通りだ。俺はズルくて卑怯だから、こんなやり方しかできない」
そう言うと、敦賀さんは今までに見たこともないような晴れやかな顔で笑った。清々しささえ感じる表情で自分を卑怯者だと言い切る敦賀さんに、背筋がぞっと寒くなる。
また逃げるの?
この段階になって、笑顔で本音を隠し込んで……?
そんなの駄目っ…!
「笑わないで下さいっ!」
気付けば、声を張り上げて叫んでいた。