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笑顔の獲得

「20分くらいなら大丈夫だ。命の洗濯をしてきていいぞ!」

意味ありげににんまりと告げられて、「では少し顔を出してきますね」と素知らぬ振りで笑ってみせて、踵を返す。

社さんにからかわれ、嬲られるのは不本意ではあるけれど、それでも最上さんのスケジュールを押さえて、少しでも会えるようにと取り計らってくれるその好意を無下にはしたくない。

事務所の幾分奥まった所にある、通い慣れた部屋の前に立ち、ドアをノックする。どこかに出かけていなければ良いのだけれど、とそれだけを気がかりにして。

「はーーい!」

何か良いことでもあったのだろうか。

最上さんの弾んだ声に、自然と顔が緩ぶ。その明るい声音だけで彼女がどんな表情をしているのかが思い浮かび、それが自分に向けられる幸せに、逸る気持ちでドアノブを引いた。

「こんにちは、最上さ……」
「モー子さん、久しぶり~~っ!!」

歓喜の叫びと共に、ドンッと胸から腹に感じた衝撃。思いがけない状況に身体が硬直し、頭が真っ白になる。

ようやく思考力を取り戻したのは、何秒後だったのか。

そろりと真下を見下ろすと、俺に抱き付いたまま真っ青な顔で固まっている最上さんと目が合った。

「も、も、も、申し訳ございません~~~っ!!」

ズザザザザッと音がしそうな勢いで後退し、溶け落ちてしまいそうな涙目で最上さんが俺に平謝りをする。

「いや……俺としては役得だったし、構わないよ?」

構わないどころか、もっとしがみついていてくれても良かったのに、と漏れそうになる本音を笑顔で覆うと、最上さんの顔がピシリとヒビが入るように引き攣った。

「なっ……何をおっしゃるんですかっ。構ってください!と言うか、私が構いますっ。敦賀さんは綺麗な女優さんやモデルさんと抱擁するなんてことはきっと日常茶飯事で、私なんかに抱き付かれたところで平気なんでしょうけど、私はそういう免疫は一切ないんですから~~っ!!」
「……へぇぇー……っ」

一気に捲し立てる彼女につい出てしまった低い声に、最上さんが小動物のようにビクリと肩を震わせる。

「抱き付いてきたのは君の方なのに、そういうことを言うんだ。免疫なんてとっくにできていると思っていたけど?」
「ど、どういう意味ですか!?」
「酷いな、忘れてしまったの? 君と俺が抱き締め合ったのはこれが初めてじゃないだろう」
「だ、だ、抱き締め合ったって…っ」
「それとも俺の温もりは、君にとってすぐに忘れてしまえるほど価値がないものなのかな」 

一歩、二歩と彼女に近づき、細い腕を取る。

「だったら、きちんとその身体に覚えてもらわないとね? 今後、他の人間の体温を求めることがないように」
「敦賀さんっ?」

あわあわと動揺している彼女に構わず、華奢な身体を引き寄せ、抱き締めた。俺の片腕が余裕で一回りしそうな腰に左手を当て、柔らかな茶色い髪が覆う小さな頭を右手で胸元に寄せて。

「や、やめてください……っ」
「悪ふざけが過ぎます!」
「敦賀さんっ、お願いですからっ」

抗議の声と哀願する眼差し。何とかして離れようと、俺の胸を押す腕。それらを一切無視して、ただ彼女を捕え、押さえつけた。

もしラブミー部を訪れたのが俺だけではなく、社さんも一緒だったなら。もし彼が先にドアを開けていたなら、最上さんは同じように彼に抱き付いたことだろう。

………良かったですね? 社さん。命拾いしましたよ。

今はどこかで時間潰しをしているであろうマネージャーに、心の中で呟く。彼にすら苛立ちを覚えるのだ。これがもし他の男だったならと、想像するだに腸が煮えくり返る。

「つるが、さぁぁん……」

逃げ出すのは無理だと悟ったらしく、暴れるのをやめて大人しくなった最上さんが弱々しく俺の名を呼ぶ。

これ以上拘束して、この子に嫌われるわけにもいかない。どうせここでこれ以上のことをするつもりもないし、できるはずもないのだから。

そろそろ手を解いてやろうかと考えたところに、後方から女性の呆れ声が聞こえてきた。

「もういい加減に開放してやったらどうですか?」

―――ようやくか。

「モ、モー子さぁぁあああんっっ」

細身の身体から腕を離すと、最上さんは親友の元へと一目散に駆け寄った。ひしとしがみ付く彼女を抱きとめた黒髪の少女に、にこやかに声をかける。

「やあ、琴南さん。いつからここに?」
「キョーコが鳥もちにかかった虫のように、無駄に暴れていた辺りからです。敦賀さんはとっくにご存じなのかと思っていましたが」
「とんでもない。あいにく背中に目はついていないのでね」
「……まあ、それについてはいいです。それよりも、キョーコで遊ぶのはやめてください。ラブミー部のこの子には悪趣味すぎます」

責める口調に、俺なりの言い分を唇に乗せる。

「遊んだつもりはないよ。最上さんは自分のしたことを理解した方が良いと思ってね。なにしろ彼女は俺がドアを開けた途端に、いきなり抱き付いてきたんだから」
「アンタ、本当にそんなことをしたの?」

キツめの声を投げかけられ、琴南さんに巻き付いたままの最上さんがちろりと目線を上げたかと思うと、しょんぼりと頷く。

「だって、モー子さんが来たんだと思ったんだもの。いつもモー子さんには抱き付こうとしても逃げられちゃうから、部屋に入るところを狙えばうまくいくかなって、そう思って……」

ぼしょぼしょと言い訳をする最上さんに、琴南さんは盛大な溜息を付いた。

「相手を確認もせずに、そういうことをするのはやめなさい! 危なっかしいったらありゃしない!」
「本当にそうだよ、最上さん。俺だったから良かったものの、他の男性なら洒落にならないからね」
「敦賀さんでも全然良くありません!!」

間髪入れずに琴南さんに思いきり否定されて、苦笑いが出る。彼女の親友としては、不安に思うのはもっともだが、その辺にいる男達と同類に扱われたくはない。こと、最上さんに関しては。

「そう警戒しなくても、抱き付かれたところで無責任に最上さんを襲うような行為はしないよ」
「敦賀さんの場合は、責任を取るために行動しそうだから余計に危ないんです」
「それは俺が最上さんにいい加減な気持ちで接しているわけではないと、そう君に理解してもらっているという解釈でいいのかな?」
「ずいぶん前向きで、都合の良い解釈の仕方ですね」

不穏な空気に戸惑ったのか、最上さんは俺を睨みつける琴南さんから離れると、子供のようにクイと彼女の腕を引いた。

「あの、モー子さん? 敦賀さんは考えなしに行動してしまう私に、いつも適切に指導をしてくれるのよ? それが厳しく感じたり、一見、意地悪や嫌がらせのように見えたとしても、後からよく考えてみるとちゃんと意味があるの。だからね」
「キョーコ、アンタ一体……」

俺にとっては多少の引っ掛かりはあるものの好都合な、琴南さんにしてみれば頭が痛いことこの上ない最上さんの純朴すぎる発言に、再び室内に呆れ声が落ちる。

すると最上さんは、にこぉっと、それは嬉しそうな笑顔を浮かべた。

「な、何をいきなり笑ってるのよ?」
驚き、狼狽える琴南さんに、最上さんがにこやかに答える。

「だって、モー子さんが3回も『キョーコ』って呼んでくれたんだもの。普段は滅多に呼んでくれないのに……!」

ほにゃぁっと笑い崩れる彼女に、琴南さんの頬も釣られて赤くなる。立ち入ることのできない、ふわふわとした空気が二人を包み込んだ。

―――俺が呼び捨てにした時は、ダメだって言ったくせに。

女性に嫉妬するなんて、愚かなことだ。分かってはいる。分かってはいるが、あまり面白くはない…… 

「も、もう! 何を言ってるのよ、アンタはっ! ほら、そろそろ行くわよ!!」
「うん!」

朗らかな笑みを湛えたまま、最上さんがクルリと俺の方へと身体を向けた。

「これから二人で出かけるんです。ランチをしてから、ナツに合う大人っぽい服をモー…琴南さんの行きつけのお店で選んでもらう約束をしていて……何日も前から凄く楽しみにしていたんです!」

えへへ、と幸せそうに照れ笑う様は例えようもなく可愛くて、その笑みに些細な嫉妬など消し飛んでしまった。つまらないことで言いがかりをつけて、この笑顔を壊したくはない……心からそう思って。

「それは良かったね。琴南さんなら君に似合う服を選んでくれるよ。楽しんでおいで」
「はい、ありがとうございます!」

無邪気に笑う彼女に、俺も自然に笑みが零れる。

最上さんから満面の笑顔を引き出しているのが自分ではないのが悔しくないと言えば嘘になるが、それでも彼女が幸せそうに笑ってくれれば俺も嬉しいと、そう思う気持ちに偽りはない。

「ここに蓮がお邪魔してないかな?」

ドアをノックする音と共に、社さんが顔を出した。どうやら俺の方もタイムオーバーらしい。

「いらっしゃいますよ。それにしても、いつからここは人気俳優様の休憩所になったんでしょうね」
「モ……モー子さん?」

幾度となくこの部室に出向いている俺に対して、チクリと棘のある発言をする琴南さんに、最上さんが慌てた声を出す。

「おい、蓮。お前、何か琴南さんに嫌われるようなことをしたのか?」

眉を顰める社さんにどう答えたものかと逡巡していると、俺よりも早く琴南さんが口を開いた。

「いいえ? 私は敦賀さんを嫌ってなどいませんので、どうぞご心配なく」
「そ、そう? それならいいんだけど」
「事務所の大先輩に対して、そんな感情を抱くわけがありません。でも……そうですね。あえて言わせていただくなら……」

社さんに答えていた琴南さんが、チラリと俺に視線を寄越した。

「動機が気に入らないだけです」

にーーっこりと華やかな笑顔で言い放ち、琴南さんは形ばかりの挨拶をすると、最上さんを連れて速やかに退出してしまった。

「敦賀さん、社さん、失礼しますーー……っ」
最上さんの焦りに満ちた声が廊下から響き、フェードアウトしていく。

「……っ……っ…」
「社さん……?」

何かを考え込むように、口元に握り拳を縦に当てて俯いているマネージャーの口から、小さな音が幾つか漏れ聞こえた。どうしたのかと彼の顔を見ようとした瞬間、社さんは爆発するように声を上げて笑い出した。その勢いに思わず数歩後ずさる。

「や、社さん、どうしたんですか!?」
「どっ、動機っっ!! 気に入らないって……あーっははははははっ……!」

ヒクヒクと肩を震わせて笑う社さんの、その笑いのツボがどこにあるのか思い当たり、気分が一気に急降下する。

「社さん……?」
「だ、だって、これが笑わずにいられるか!? お前さんざん俺に言ったよな! いやぁ、言葉って言うのは巡り巡って返ってくるもんなんだなぁ……!」

「俺も気をつけないと……っ」などと、涙を浮かべて笑いこけるマネージャーの横を黙って通り過ぎ、開いたままのドアまで来たところで足を止めた。

「……社さん、いい加減にしないと置いていきますよ」
「あ、ああ、分かった。悪い、悪い……」

悪いなんて、ほんの爪の先ほども思っていないでしょう……!

そう言いたいのは山々だったが、未だ口元がふよふよと歪んでいる社さんに下手に突っ込もうものなら、倍で返ってくるのは確実だ。どうせ人のいる所では落ち着くだろうし、ここは黙ってやり過ごすに限る。―――これも最上さんと出会ってから、身に付けざるを得なかった学習能力だ。

それにしても……琴南さんか。
最強の馬の骨だな。いや、今の立ち位置では俺の方が馬の骨に当たるのかもしれない。

だがいつかその立場を覆して、最上さんのあの笑顔を俺に向けさせてみせる。

誰に言うでもなく、心の中で宣言をした。



―――そして、数時間後。

『喫茶店で飲んだオリジナルブレンドのコーヒーが美味しくて、思わずお土産に買ってしまいました。部室にいらした時にお淹れしますので、いつでも遊びに来てください』

「れ~~ん~~? 何をニヤけてるんだ~?」

撮影を終え、携帯のメールを確認したところで、社さんがいつもの遊び顔で俺に話しかける。

「別に何もありませんよ?」
「そうかぁ? なんか凄ーく嬉しそうに携帯を見ていたから、良いことでもあったのかと思ったんだが」
「社さんの気のせいですよ」

ふーん?と社さんが肩を竦めた。

「それは残念だな。俺はすっごくイイことがあったんだけど」
「……なんですか?」
「キョーコちゃんからメールがきてさ。『美味しいコーヒーを淹れますから、いつでも部室に遊びに来てください』って。俺は楽しみなんだけど、蓮は違うのかぁ」

そっかぁ、じゃあ今度は俺一人で行こうかな~などと上機嫌で言うマネージャーに、俺の気持ちなどバレバレだったことを知り、思わず手の平を額に当てる。

「明後日の夕方に事務所に行くんだけど、その時にキョーコちゃんと会えそうなんだよなあ。ちなみに蓮、お前はどうするんだ?」
「……行きますよ、もちろん」

俺の思惑をその手に握り、にまにまにまとチェシャ猫のように笑う社さんにむっすりと答える。

……あの子の最高の笑顔を手に入れるまでに、俺はどれぐらいこの人のからかいに満ちた笑顔を見ることになるのだろう。

考えない方が精神衛生上良さそうだ、と吐息混じりに振り仰いだ空は、嫌味なほどに快晴だった。



チェシャ


<イラスト:perorin様>


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