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君の傍に 3

 カツコツと部屋の中へと移動する音が近づいてきて、品の良い皮靴が、俯く私の視界に入った。

「そろそろ行こうか、最上さん。一緒に食事をする約束だろう?」

 キラキラと落ちてくる、眩いほどの光。

 顔を上げて確認しなくても分かる。今、敦賀さんがどれほど麗しい笑顔を湛えて、私を見ているのかが。いきなりの大魔王の登場に、背中に一筋、汗が流れる。

 そもそも、なぜ敦賀さんがここにいるのだろう。

 確かに夕食を作る約束はしていたけれど、それは私が直接マンションに伺うという話であって、スケジュールの詰まった多忙な大先輩と待ち合わせなどはしていなかった。ましてや、敦賀さんには「きまぐれ」に坊として出演している事を秘密にしているのだから、今日はどこの局で仕事をしますなどという、自らの首を絞めるような事は、一切口にしていないのに。

「どうしたの、下を向いたままで。俺、何か君を怒らせるような事でもしたかな?」
 
 上級モードで怒っているのは、あなたの方じゃないですか?

 ……などとは言えるはずもなく、黙り続けるしかない私に業を煮やしたのか、大魔王様は諦めるように吐息を落とした。

「仕方がないな」

 短い呟きの後、敦賀さんの動く気配がしたかと思うと、視界の景色が大きく変化した。床を見ていたはずの瞳が天井を映したのは一瞬で、右側にあったはずの入り口が今までよりも低い位置で正面へと移動している。

「え、ちょっ、ちょっとっ……!?」

 背中をがっしりと抱えられ、両膝を軽々とすくわれて……『もしかしてこれはお姫様抱っこと言うものでは』とグルグルに渦巻いている頭が何とか状況を判断したのと、突然の事にうろたえて思わず感情のままに叫び声を上げたのと、どちらが先だったかは分からない。

「敦賀さんっ!」
「ん……何?」
「何って、それはこっちの台詞ですっ。早く下に降ろしてください!」
「君が動けないようだから抱いて移動しようかと思ったんだけど、何か問題でもある?」
「お、大ありですっ。子供じゃあるまいし、恥ずかしいじゃないですか!」
「ああ、それなら丁度、おあいこになるかな」

「は?」と間の抜けた音が、唇の先で止まる。見えない話に顔を上げると、至近距離で敦賀さんとばっちりと目が合ってしまい、息を飲んだ。

「自分の恋愛事情をあれこれと推測されるのは、なかなかに恥ずかしいものだからね」
 
 困ったように眉を顰めた笑顔を向けられて、罪悪感のようなものがヒタリと身体を冷やした。

 やっぱり聞かれていたんだ……でも、一体どこから?

「ああ、君が俺の事を考えてくれるのは、一向に構わないんだよ。むしろ大歓迎なんだけど、あらぬ想像をして、間違った認識を持たれるのは遠慮したいかな」

 やんわりと言い含められて、下唇を噛んだ。人の噂話に興じるとは君も偉くなったものだねと、そんな嫌味の一つでも言われた方がどれほどマシだろう。

「敦賀さん、それに関しては俺が悪いんです。あなたの話題を持ち出したのは俺ですから、京子ちゃんに責任はありません」

 私を易々と抱き上げている大きな身体の影から、凛とした声が響いた。敦賀さんは優雅に半回転をして、私を庇ってくれた人へと身体を向ける。

「石橋君……?」
「ですから、彼女を離してあげてください。紳士と評判の敦賀さんらしくない行動だと思いますけど」
「紳士? 紳士ねえ……」

 『人望厚い』先輩俳優様は、光さんの言葉を繰り返すと、いかにも可笑しそうにクツリと笑みを零した。

「俺は巷ではそんな風に言われているのかもしれないけどね。でもあいにくこの子に関しては、そんな肩書きをかざしていられるほど余裕がないんだ」
「よ、余裕がないのは私の方ですぅっ!」

 常に温厚な光さんの眼差しがいつになく厳しいように感じられて、羞恥のあまり手足をバタつかせた。子供のように抱き上げられている今の自分の姿が、どれほど正視に堪えないものなのかを否応なく思い知らされて。

 本当にできる事ならこの場から、脱兎のごとく逃げ出してしまいたい!

「最上さん、そんなに暴れないで。君をこうして抱くのは、別に初めての事ではないだろう?」
「初めてじゃないとか、そういう問題じゃありませんっ」

 敦賀さんにこうして抱き上げられるのは2回目かもしれないけど、でも最初のあれは足を挫いて動けなかったんだから、不可抗力というものよっ。

「あの時とは、状況が違うじゃないですか!」
「そう? まあ、確かにあの頃よりもずっと、俺は君の事が好きだけどね」
「それは勿論、私だってそうです!」

 『打倒敦賀蓮』を掲げていた当時と比べれば、この先輩への好意は雲泥の差。それは疑いようもなくて。

 だからはっきりと同意をすると、敦賀さんの顔から突然、感情の色が消えた。何かまずい事を言ってしまったのだろうかと、この人に関して墓穴を掘る事だけは自信のある、迂闊な我が身を振り返ろうとした時。

「うん……それは、嬉しいな」

 ほわんとした響きと共に現れたのは、眩いばかりの神々しい笑顔。温かな身体に引き寄せられたまま、至近距離で向けられたその輝きは、回避する暇すら与えずに私の心に飛び込んできた。

 トクリと胸を叩いたのは、何を意味する鼓動なのか。そんなものには気付きたくないのに、震える心は多分、とうに答えを出している。

 だってこんな笑顔を見せられたら、惹かれずになんていられない……
 
 『共演者キラー』―――その異名を持つ人の実力を、まざまざと見せつけられた気がした。この人は恋なんてしていなくても、相手を本気にさせて、その心を手に入れる術を持っている……!

 甘い音が響いたばかりの胸に、現実を思い知らせるように鋭い痛みが生じた。

「最上さん、何を考えている?」

 張りのある声が私の名を呼び、暗く淀んだ思考から意識を引き戻す。

「い、いえ、何でもありません」
「ふうん……それについては、また後で話すとしようか」

 不満げではあるものの、その感情を押し込めたらしい敦賀さんは、腰を屈めると私を床へと下ろしてくれた。地に足が付く感覚に、肩の力が抜けてホウッと息が漏れる。

 ……でも、どうして?

 いきなりの開放を疑問に思い、敦賀さんを振り仰ぐと、その意味を理解したのか、涼やかな口元が笑みの形を作った。

「あまり意地悪をして、君に嫌われたら困るからね」
「別にこのぐらいで嫌いには……って、やっぱり意地悪だったんですか、これ!」

 決して直球では来ない、その湾曲な苛めっぷりに思わず声を張り上げた。どうして私相手だと、この人はこうも捻くれるのだろう。

「君に仕掛けたと言うよりは、むしろ彼に……かな」
 
 そう言い放った敦賀さんの視線の先にいたのは、どこか切迫した表情をしている光さんだった。


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