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君の傍に 4

「光さん……?」

 少し離れた所に立っている先輩のただならない様子が気になって、一歩足を踏み出すと、それを止めるように敦賀さんの右手が行く手を遮った。後ろから抱え込むように、鎖骨に被さる位置に置かれた長い腕に、実質的な動きを封じられて戸惑いを覚える。

「あの……?」
「最上さん、俺の側から離れないで」
「でも光さんが」
「俺は大丈夫だよ、京子ちゃん」

 具合が悪そうなんですけど、と続けるつもりだった言葉は、当のご本人によって留められた。こちらへと向けられた笑顔は、いつもの明るい先輩のものと変わらなくて、見間違いだったのかしらと小首を傾げる。

 名は体を表すと言うけれど、その名前の通りに快活な光さんだもの。様子がおかしいと感じたのは、私の気のせいだったのかもしれない。きっと、敦賀さんにお姫様抱っこなんてされた上に、それを見られた恥ずかしさで気が動転してそう感じただけなんだわ。

 一人で納得して、身体の緊張が緩んだ……その直後に、強い意志を孕んだ声が室内に響いた。

「だから敦賀さん、彼女を離してあげてください」

 その台詞は私を通り越し、背後に立っている人へとぶつけられた。頭の上の方で微かに笑うような気配を感じて、その吐息にゾクリと総毛立つ。

「石橋君。なぜ君が、それを要求する……?」
「先程は敦賀さんに関して勝手な憶測話をしてしまい、失礼な事をしたと思ってます。だけど抗議をしたいのなら、直接俺に言えばいいでしょう。京子ちゃんは、関係ないのだから」
「関係があるからこそ、こういう行動に出ているんだと……君も分かっているんだろう?」

 含み嗤うような低い声。それに気圧されまいとするかのように、光さんの喉がコクリと一度、上下に動いた。

「でもこれは、俺に『意地悪をする』事が目的なんですよね? だったらもう、充分でしょう」
「俺としては足りないぐらいだよ。今の君を見ていると、そう思うね」

 なんだろう……決して激しく言い争っている訳ではないのに、これが異常な状況だという事が直に肌に伝わってくる。

 初対面の二人が私の浅はかな質問のせいで、こんなにも険悪な雰囲気になってしまうなんて。敦賀さんも光さんもとても良い人なのに、こんなつまらない事で誤解をしてお互いに悪い印象を持って欲しくない。

 だから、若輩者が余計な事をと言われるのを覚悟して、崖の上からダイビングをする心地で険のある会話に飛び込んだ。

「あのっ……敦賀さん、違うんです。光さんは私の話に付き合ってくださっただけで、悪いのは私なんです。自分の立場もわきまえずに、芸能界においては雲上人であらせられるトップ俳優の敦賀さんの噂話を、軽々しくも勝手な憶測でしてしまい申し訳ありませんでしたっ!」

 私を後ろから腕一本で留めている、神にも等しい人のお顔をこの体勢では拝む事ができないけれど、精一杯のお詫びの気持ちを込めて頭を下げる。

「光さんも、すみませんでした。私などの他愛のない相談に付き合っていただいた為に、余計な心配までかけてしまって。敦賀さんが私にこの程度の意地悪……と言うか、悪戯をするのはいつもの事ですから、どうか気にしないでください」
「悪戯って、京子ちゃん……っ」
  
 困惑するように、光さんが口籠った。

 そのどこか呆れたような、驚くような表情に、またもや失言をしてしまった自分に気付かされる。ペーペーの新人である私が、同じ事務所の看板俳優に対して、意地悪だ何だと相手を貶めるような事を言うなど以ての外なのだと。

 本当に、どこまで考えなしなのよ、私……っ!

「ああ……確かにね」

 落ち込む私に、柔らかな肯定が降ってきた。 

「最上さんの言う通り、この程度の事は日常茶飯事だし、いつものじゃれ合いに過ぎないから、部外者に口を挟まれる謂れはないかな?」
「つっ、敦賀さんっ?」

 頭上から放たれた言葉に内包しているのは、明らかな棘。けれど、その尖った先端が向けられているのは、私ではない。

 光さんは悪くないって言ってるのに……!

 説明したところで受け入れてもらえない事実に、自分の言葉が敦賀さんにとって、いかに軽いものなのかを思い知らされるようで胸が痛んだ。でも、例え私の力がどれほど足りないとしても、一文の得にもならない相談事に付き合ってくれた光さんに、これ以上の迷惑はかけられない。

「敦賀さん、私……」
「何? 最上さん」
「お腹が空きました。早く帰って、食事にしませんか?」

 後で誤解を解くにしても、まずはこの場を去る事が先決とそう思って、身体を捻り、背後に立つ人を振り仰いだ。敦賀さんは僅かに目を見開くと、一直線に広がるような満足げな笑みを唇に浮かべて、甘やかな響きをそこに乗せた。

「そうだね。これから濃密な時間を過ごす約束だし、俺も早く君と二人っきりになりたいな」

 ど……っうしてわざわざ、そんなややこしい言い方をするんですか! しかも、光さんのいる前でっ!

 赤面して震える私に構う事なく、後ろから回されていた腕がすらりと外されて、温もりのある大きな掌が腰へと移動する。

「そういう訳だから、石橋君。これで失礼するよ」
「光さん、あの……今日はありがとうございます。それからご心配をかけて、すみませんでした」

 敦賀さんにエスコートをされるように押されながら、深くお辞儀をして光さんの横を通り過ぎる。

 いつもなら明るく返される挨拶がないのは、不愉快な思いをさせた後輩を怒っているからなのかもしれない。いくら人の良い光さんと言えども、掻き回すだけ掻き回しておきながら、さっさと退場するような礼儀を知らない人間に腹を立てるのは当たり前で……そうと分かってはいても、何かと世話を焼いてくれる温和な先輩に無言で対応されるのは辛くて、下唇を噛んだ。

「京子ちゃん、ちょっと待って」

 背後からかけられた声に歩みを止めると、光さんが足早に私の前へと回り込み、正面に立った。

「これは言っておかないと、と思って」
「……はい」
「京子ちゃんが作ってくれた天ぷら、すごく美味しかったよ」
「へ?」

 天ぷらって……「きまぐれ」の料理コーナーで坊が作った、あの天ぷらの事? 本来はゲストさん用だけど、大抵は数人分作って光さん達にも食べてもらっている……だけど、なぜいきなりそんな事を言うのだろう。

「俺、椎茸の天ぷらがあんなに美味いものだなんて、知らなかったんだ。お吸い物も品の良い味だったし、京子ちゃんは本当に料理が上手だよね」
「あ、ありがとうございます」

 突然のお褒めの言葉に面喰らいつつ、兎にも角にもお礼を述べた。一体何事なの、と頭の上に沢山の疑問符を浮かべながら。

「次に会う時は、豆腐料理を作ってくれるんだろう? 俺、楽しみにしているから」

 にっこりと笑った光さんの表情には一点の曇りもなくて、ようやく私は目の前の人の意図を理解する事ができた。今日の事は気にしなくて良いと……今度の収録も宜しくと、そう伝えてくれているんだって。

「はいっ! 光さんにまた美味しいって言ってもらえるように、気合いを入れて作りますね!」

 優しい心遣いに応えたくて、声も高らかに返事をした。すると、いきなり腰を強く引かれてバランスを崩しそうになり、思わず小さな悲鳴が口から飛び出す。

「敦賀さん、何をするんですかっ?」

 私を転ばせかけた元凶の人は、倒れかかった身体を事もなげに受け止めてはくれたものの、一切こちらを見ようとはしなかった。

 切れ長の目が射抜くような鋭さで真っ直ぐに捕えていたのは、それに負けない強さを瞳に湛えた光さんの姿だった。


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