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待ちかねていたカットの声がかかり、俺は簡易な作りの階段を降り彼女の元へと向かった。
今にも駆け出そうとする気持ちを何とか理性で押さえつけて、他の共演者の注目を浴びない程度にできる限り早くと。

そして行き着いた先で目に飛び込んできたのは、未だかつて見たこともない彼女だった。

頬をうっすらと朱に染め、物思うように僅かに伏せられた眼差し。
それは色気のようなものすら醸し出していて愛しい誰かを想うような、まるで恋でもしているかのような悩ましさを内包していた。

愛を失ったはずの彼女が見せるはずもない顔……
一刻も早くと急いていた足が止まる。

あり得ない。
彼女がそんな表情をするなんて。

誰でもない、他の男の前でそんな顔を見せるなんて……!

まるで誘い込まれるように貴島の手が彼女の頬へと伸びる。
その動きに凍りついていた身体が覚醒し、彼女に触れる寸前のところで奴の手首を掴んで阻止した。

貴島の行動を止めた俺を見て彼女が安堵の吐息を漏らさなければ、俺は荒れ狂う感情に任せてどのような行動をとったか想像がつかない。

この腹の底から湧き上がってくるどす黒い狂気の波が貴島に向かっているのか、それとも最上さんに向かっているのか……それすらも分からないままに……



「最上君と連絡がとれないんだ」

現場への移動中に入った椹さんからの一本の電話。
いかにも困ったという調子で話すその内容は、ダークムーンの撮影の予定に変更があることを最上さんに伝えられないというものだった。

「あの子も最近はすぐに携帯を受けるようになっていたし、この時間帯なら間違いなく連絡がとれると思っていたんだが……」

この変更によって彼女の撮りはなくなり、現場に来たところで出番はないという。
もし彼女が来たら説明をして欲しいという椹さんに承諾をし、俺からも彼女に電話をしてみることを告げた。

既に記憶している彼女の番号は、何度かけてもコール音がするだけで出る気配がない。
呼び出し音が鳴るということは、電車に乗っているために電源を切っているというわけでもないだろう。

まさか、彼女の身に何か……?

嫌な予感が胸を去来する。
考えすぎだ、ただ単に携帯が鳴っていることに気付いていないだけだと否定してみても、電話をかける回数を重ねるごとに不安は募るばかりだった。

彼女は……自分で自覚こそしていないが、何かとトラブルに巻き込まれやすい。
いや、利用されやすいというべきか。
そしてあの子はその事実に気付いていないが故に、見ていて危なっかしいほどに物事に対する危機感や猜疑心というものを持ち合わせていない。

例えば俺も係わった宝田組の瑠璃子ちゃん矯正の件。
あの時彼女は足の骨のヒビを悪化させてまで演技をやり通したというのに、結局は叶う見込みのない餌をぶら下げられて新開監督の手の内で踊らされただけだった。
もっともその頑張りのお陰で作戦は成功したわけだが、未だに彼女はその真相を塵ほども知りはしない。

軽井沢では不破のためにストーカーまがいの行動をする男に付け狙われ、心配した俺が探してみればあっさりと組み伏せられている始末。
男の力にかかれば女性である彼女に抵抗などできるわけがないという、ひどく簡単な図式が理解できていないらしい。

そして最近ではクー・ヒズリが来日した際に俺をおびき寄せるための道具として、あの常軌を逸した大食漢である彼の食事係に任命された。
彼女は何も言わないが、社長とあの人が手段を選ばずに何か事を仕掛けていただろうことは想像に難くない。

軽く思い出すだけでもこれだけのトラブルに見舞われている彼女。
今、何事もないとなぜ言い切れるだろう?

俺の心配が杞憂であるように……頼むからいつもの明るい声で電話に出てくれと、俺は祈るような気持ちでリダイヤルを押し続けた。

だから彼女が現場に姿を見せたときには本当にホッとして、それと同時に怒りもこみ上げて普段よりもきつい物言いをしてしまった。
頭を下げて謝る彼女に言い過ぎたと気付いたものの、放った言葉は取り返せるはずもなく、俺はただ頷くとスタッフに促されてセットへと足を向けた。

その罰を、俺は受けているのだろうか。

撮影が始まってからも、俺は帰ろうとしている彼女を目の端で捉えていたから、貴島が声をかけたことには最初から気が付いていた。
何を話しているのかまではさすがに聞こえないが、二人の間で会話が途切れることなく交わされているのは確かだった。

演技に集中しなければ……

そう思いながらも、俺は二人から意識を逸らすができなかった。
女性に対して手の早い貴島だけに、あれが単なる世間話程度のものだとは到底思えない。
最上さんに限ってと否定してみても、トラブル体質の彼女だけに何が起こるか分からないのは先ほど考えていた通りだ。

ドアへ向かおうとした彼女の腕が貴島に掴まれた時には、俺は危うくセットの組まれた壇上から飛び降りて二人の所へ向かうところだった。
そうしなかったのは、己の仕事を果たそうとするプロ意識が働いていたからに過ぎない。

もっとも彼女が嫌がる素振りを少しでもみせていたならば、俺は間違いなくそれを実行していたことだろう。
自らその手を振り解いた彼女に安心し、とにかくこのシーンを一刻も早く終わらせようと俺は演技に神経を注いだ。

そうしてやっとの思いで駆けつけたその時に、彼女のあんな顔を見ることになるとは思いもよらなかったが。



「貴島君、あまりこの子をからかわないでやってくれないか?そういう方面には疎い子なのだから」
俳優としての能力を最大限に生かして俺は内面の渦巻く思いを微笑で隠し、貴島の手を離した。

「別にからかっていたわけではないんだけどな」
貴島はまじまじと俺の顔を見ると、同じように笑ってみせる。
俺が牽制をかけていることは十分に分かっているだろうに、こいつもやはり役者だ。

「あれがからかいでなくて何だと言うんですか……!」
一人状況を理解していない最上さんが、俺の背中越しに貴島に噛み付いた。

「そうだな。君流に言うなら酔っ払いの戯言?」
「朝っぱらから大トラ状態な人は、大人しく檻にでも入っていて下さい」
「手厳しいなあ。俺としては君の携番を知りたいのは本当だし、好意の表れでもあるんだけどね、最上さん?」
「何が好意……っ」

そう言いかけた彼女の言葉が宙に浮いた。
おそらくは気がついたのだろう……俺の感情の変化には妙に聡い子だから。
俺の様子を伺っているだろう彼女をゆっくりと振り返る。
笑顔の仮面をつけることすらできないままに。

「ずいぶん貴島君と懇意になったんだね……?」
俺の皮肉交じりの一言に、彼女の表情に陰りが落ちた。


――「最上さん」
貴島が呼んだその名は、俺が常に彼女に呼びかけている言葉。
それに応えて彼女は時に俺に微笑み、時に俺をおずおずと見上げ、時に俺に拗ねてみせる。

多くの人が彼女の芸名である「京子」という呼び名を使う中で、俺が彼女の苗字を呼び続けたのは特に他意はない。
下の名前で「キョーコちゃん」と呼ぶことだけは昔の彼女との思い出を引き摺るようで避けはしたが、苗字で呼ぶことに対しての理由などはなかった。

そう思っていた……今までは。

同様に苗字で呼ぶのは彼女をデビュー前から知っている、事務所でもごく一部の人間だけだ。
だがその中でも、社内を離れた場所で彼女を苗字で呼んでいるのは俺一人だった。

芸名で呼ばれることが多くなった彼女にただ一人、俺だけは違う名を、彼女の本当の名を呼んでいるということに特別な意義を感じていたことに今更ながらに気付く。
そんな些細なことにさえ、俺は彼女への独占欲を働かせていたのだ。

彼女とは初対面に近いはずの貴島。
その彼にこの子はどれほど気を許して、芸名ではなく本名を伝えたのだろうか。
二人が言葉のあやとりを繰り返す様子は、まるで旧年来の知己のようだ。

この子は彼に好意を抱いたのだろうか。
そして頬を染め熱を秘めた眼差しで彼を見つめて……その名を告げた?

……吐き気が、する……

胃の中をグルグルと何かが駆けずり回っているようだ。

これは俺の限りなく我侭に近い嫉妬だと分かってはいる。
俺が一方的に腹を立てて、何も悪くない彼女を理不尽に責めているに過ぎないのだと。

それでも俺は、彼女に伝えられるはずもない想いを訴えずにはいられない。

他の男にそんなに簡単に心を開いたりしないでくれと。
君にとってどんな些細なことでもいいから特別でありたい……そんな愚かな男の願いを叶えて欲しいと。

俺は自分が自覚している以上に彼女に囚われていたことを、改めて思い知らされた―――


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