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新たな翼

「人の運命なんて、分からないものですね……」

ダークムーンの撮影現場の一角で、共演者が演じるドラマを見ていたキョーコがポツリと呟いた。

「どうしたの、いきなり?」

去年は暖冬でここまで寒くなかったね……そんな他愛のない会話の後に運命を語られるとは思わず、いささか面食らいながらも蓮は隣に立っている少女に聞いた。

「こうやって他の人の演技を見ていると、勉強になることがとても多いんです。当たり前のことかもしれませんが、皆、真剣に仕事をしているんだなって思って……自分を磨くためだけでなく、皆で良い物を作っていこうという気迫が感じられて気持ちが引き締まります」
「そうだね。演劇は一人が頑張っても、それだけで成り立つものではないから」
「はい。でも以前の私はそんなことには気づきませんでした。自分一人でがむしゃらに頑張っているつもりで、周りなんて全然見えていなかった……去年の今頃の私は」

キョーコの声が僅かに苦みを帯びていることに気づき、蓮は沈黙した。
その過去の思い出の中に確かに存在する男の影に胸にチリチリとした痛みを感じつつ、それを表には出すまいと平静を装って。

「まさか自分が芸能界に入って、演劇をするようになるとは夢にも思いませんでしたから……人の未来なんて分からないなと思って」

キョーコはしみじみと言うと、自分の背よりも遥かに高い位置にある蓮の顔を盗み見てクスリと笑い声を漏らした。

「……何が可笑しい?」
「いえ、もし去年の私に『あなたは敦賀蓮さんの後輩になって、ドラマで共演したり、話をしたり、一緒に食事をしたりするようになるのよ』なんて言っても、絶対に信じないだろうなと思って」
「絶対にとまで言い切るんだ?」
「はい、絶対です」

『敦賀蓮!?尚ちゃんが大嫌いなあの顔だけ俳優?そんな男と私が話をするわけないじゃない!冗談にも程があるわっ』

そう捲くし立てるかつての己の姿がありありと思い浮かぶと同時に、それが他人であるかのように遠い存在となっていることをキョーコは感じていた。

ほんの一年前のことなのに、余りにも精神的に変わってしまった自分。
それは果たして良いことなのか、悪いことなのか。

『ショーちゃん』

かつての自分にとって全てであり最高の幸福をもたらしたはずの名は、今では二度と口にしたくないものとなった。

『ショーちゃんさえいてくれれば、他には何もいらないの』
そんな愚かなことを真剣に思っていて、何日も戻らない男の帰りを一人マンションで待ち続けた、そんな自分が今は滑稽でならない。

あまりに道化ていて、あまりに可笑し過ぎて……

自嘲する彼女の頬に一粒の涙が零れ、引き寄せられるように床へと落ちた。

「あ……」

思いがけなく流れた涙に反射的に右手が動いたが落ちた水滴を捕らえられるわけもなく、目的を失った手をキョーコは呆然と見つめた。

「最上さん……いくら他の人の演技が勉強になるからって、そんなに瞬きもせずに凝視していたら目が疲れるよ……?」

優しい声と共に頬に当てられたのは、縁に刺繍が施された男物のハンカチだった。

「ありがとうございます……」

キョーコが芸能界へ入るまでの事情を知っている数少ない人間の一人である蓮が、その涙の本当の意味に気づかないわけはなかった。
分かっていながら知らない振りをする、その心遣いがキョーコのかさついた心を潤していく。

「私……あの頃とずいぶん変わりました。生活も考え方も、何もかも。それで良かったのかなと思ったらなんだか……」
「環境が変われば意識も変わるものだよ、最上さん」

話す二人のすぐ脇を若い男が大きな道具を抱えて走り抜けていく。
居間でのシーンの撮影が終わり、次の準備をするために数人のスタッフが忙しなくセットの上を行き来していた。
その様子を眺めながら、蓮はキョーコに話を続ける。

「例えば……地にいる時に見慣れたものも、空に飛び立って上から見れば、また違う形が見えてくるだろう?今の君は新しい翼を得て羽ばたき始めているのだから」
「新しい翼……」
「そう、何色にも染めることができる真っ白な翼だ。空を飛び広い世界が見えるようになれば、それに応じた考え方をするようになる。それはごく自然なことで……」

蓮は隣にいるキョーコから向けられる視線に気づき、彼女を見やると穏やかに微笑んだ。

「だから今は後ろを振り返ることなく、君の目指す場所に向かって飛んで行けばいいんじゃないかな」
「……私、その翼で正しい方向に飛べているんでしょうか……」
「大丈夫、俺も一緒に飛んでいるから。決して進路を違えさせたりしない……安心していいよ」
「そう…ですね。敦賀さんは誰よりも先に飛んでいるから、あなたの後ろを追いかけていけば安心ですね」

キョーコの言葉に蓮は静かに頭を振った。

「俺は先頭になどいないよ、最上さん」
「でも敦賀さんはこの芸能界でトップを走っていますし、何よりも私の目標なんです」
「そう思ってくれるのは嬉しいんだけどね」

蓮はキョーコの肩に手を置くと、彼女の瞳に自分がいることを確認するかのようにその顔を覗き込んだ。

「最上さん、俺はこうして君の傍にいるだろう?決して遠い場所にいるわけではなくて、君と同じ道を共に歩んでいる。だからね、君の隣で飛ばせてくれないかな」
「私の隣なんて……敦賀さんは誰よりも先へ飛んでいくべき人なのに」
「でもそうして先頭を飛んで背中を向けてしまったら、泣いている君に気づくこともできないだろう?」

蓮の言葉に、先刻思いがけなく落とした涙を見られた恥ずかしさが今更のように沸き上がり、キョーコは俯いた。
その頭を蓮の手が宥めるように軽く叩く。

「それに何よりも君は見ていて飽きないしね。長い旅だから真っ直ぐ飛んでいくだけではくたびれてしまうし、丁度良いよ」
「……私は敦賀さんの娯楽のために飛んでいるわけじゃありません」

憎まれ口を叩くキョーコは苦く笑いながらも、その表情は決して暗いものではなかった。

「どうせ飛ぶなら楽しい方がいいだろう?目指す目的地が同じならばね……ほら最上さん、出番だよ」

未緒の部屋のセッティングが終わり、スタッフがセットから引き上げるのを見て蓮はキョーコに伝えた。

「行っておいで、君がこれから生きていく世界へ」
「……はい!行ってきます」

蓮に見送られ、キョーコは光で照らされた場所へと歩いていく。
その姿に迷いはなかった。

「後ろを振り返ることなく……か。ずるい言い方だよな……」

強く握り締め続けていたが故に、白く色を変えた左の手の平を見ながら蓮は小さく呟く。
その言葉は誰に知られることもなく、彼と彼女が身を置く世界の空気の中へと静かに溶け込んでいった。


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