「待って、最上さん」
今日はご馳走様でした、そうお礼を言って助手席のドアの取っ手に指をかけたとき、敦賀さんから引き止められた。
「ここから君がお世話になっているだるま屋さんは遠いのかな」
「いえ?5分も歩けばすぐですけど」
「5分か……。今日は寒いし、お店の前まで送ろうか?」
「とんでもないっ!」
敦賀さんの申し出に、思いっきり首を横に振る。
「誰かに見つかったりしたら大騒ぎになりますよ!そんな恐ろしい事を気軽に言わないでくださいっ」
「別に気軽に言っている訳ではないんだけどね」
「気軽じゃないなら何なんですか」
敦賀さん程の人が自分の影響力を知らないはずはないのに、何でそんな無謀な事をっ……
代マネの時に体験した、怒涛の如く押し寄せる大勢のファンの幻影がまざまざと脳裏に浮かぶ。
あれの再現をだるま屋前でやるのだけは勘弁して欲しい。
敦賀さんだって十分に心得ているからこそ、いつも人気のないこの場所で車から降ろしてくれているのに。
……まさか……
敦賀さん、慌てる私を見て楽しんでいたりしないわよね?
この人は時々思い出したようにからかい混じりの意地悪をするから、油断がならないわ。
若干の疑念を持って運転席を見ると、敦賀さんは口に手を当てて何か考え事をしているようだった。
「敦賀さん?」
「いや、ちょっとね……離れがたいな、と思って」
「は?」
「もう少し君と一緒にいたいと言ったら、君は呆れるかな……?」
苦笑するように幾分照れた表情で、敦賀さんが尋ねる。
「あ…呆れるなんて……そんな事ありませんけど……」
「そう?それなら良かった……」
安心したようにふっと浮かんだ柔らかな笑顔に誘われるように、私の顔まで赤らむのを感じる。
だって……
敦賀さんが今までに見たこともないような、とても嬉しそうな表情をしたから……!
*************
気軽な気持ちでないのなら何なのかと、そう聞く君に答えようとして躊躇した。
――気軽ではなくて、単なる気紛れ
――敦賀さんっ
ムッとした顔で俺の名前を呼ぶ君の反応まで予測して、喉元まで出掛かっていた他愛のない言葉。
そんなもので自分の本音を誤魔化そうとしていた事に気が付いた。
俺はいつもこんな風に自分の気持ちを隠しこんでいたんだな……
これでは伝わるものも伝わらない。
心の内で自分の行動パターンに苦笑する。
俺は既にこの子に告白をしているのだから、もう自分の言動を取り繕う必要はないというのに。
だから感じた事をそのままに君に話した。
こんな事を言ったら笑われてしまうだろうかと、少しばかり危惧しながら。
そんな幾ばくかの緊張の中、呆れるわけがないと言ってくれた君にホッとして頬が緩む。
すると君は、俺からついっと顔を背けてしまった。
なぜ……?
疑問に思い、彼女の顔を見ようと前屈みに身を乗り出す。
……気のせい…だろうか。
僅かに垣間見える君の頬が、薄く朱の色に染まっているように感じるのは。
*************
「あ…」
「どうした?」
「ほら……雪ですよ、敦賀さん」
頬に熱を感じるのと同時に、とくんと跳ねた心臓の鼓動。
その大きさにうろたえて敦賀さんから目を逸らすと、ドア側のガラスには小さな白い粒が跡をつけ始めていた。
「初雪ですね」
「ああ、本当だ……」
風に乗って流れるように、細かな淡雪が舞っている。
「この降り方では積もらないでしょうか」
「そうだね。明日の朝には残っていないだろうな」
「私、東京は京都よりも北にあるからもっと雪が降るんだろうなと思っていたんですけど、意外に少ないですよね。京都の山あいの方が余程降ります」
「君の出身地は京都だったね。『夏暑くて、冬寒い』……だっけ?」
「はい、盆地なのでそんな風に言われはしますが……よくご存知ですね」
京都に住んでいた私にとってそれはごく当たり前の気候で、何処と比較して暑さ寒さを判断するのか今一つ分からないのだけれど。
でも女将さんが旅館のお客さんとそんな話をしていたのを幼い頃から耳にしていたから、割と馴染んだ言葉ではある。
「昔、教わったんだ。子供の時にね」
敦賀さんが私の顔を見て、ふわりと優しく微笑んだ。
その表情に、まるで何か異物でも詰まったかのようにキュッと胸が収縮する。
……なんだか心臓に悪い……
こんなこと、今までなかったのに。
敦賀さんが笑いかけてくれれば、それがどんな時だって心が落ち着いて安心できた。
これでは丸っきり逆じゃないの……!?
*************
――京都はね、「ぼんち」なの。だから夏は暑くって、冬は寒いんだって……
熱射病で眩暈を起こした俺を介抱しながら、小さな君が説明してくれた。
こんな些細な言葉さえ、しっかりと俺の心の奥底で消えることなく息づいている。
多分俺は、あの頃から君に惹かれていたんだろう。
10年前の夏の日に一緒に遊んだ少年にそんな話をした事があると、君が思い出した様子はない。
もっとも、分からなくても別に構いはしないんだ。
コーンとして昔語りをするつもりで言ったのではないのだから。
日本に来て「敦賀蓮」として生きていくために、俺は様々なものを封印した。
「久遠」にダイレクトに繋がるもの……身近な人々、生まれた国、使用言語、慣れた生活環境等を全て封じ込め、日常的な言動や考え方、感情なども全てコントロールしてきた。
危険だと感じるものには近寄らず、避けられない時には笑顔で強引に押さえ込んで。
その事実を今回、図らずも再認識してしまった。
でも……出来るなら、君には見せていきたい。
これはコーンだと悟られる可能性があるから話すのは止めた方がいいとか、君への好意を知られる訳にはいかないから冗談で流してしまおうとか。
そんな計算をしないで、素のままの俺をさらけ出して。
それは思ったよりも難しそうだけど、君には偽りのない俺を知って欲しいから。
踏み出せなかったラインをほんの少しだけ、勇気を出して越えてみようか……?